ダウンタウンの漫才 その1
〜2人の漫才はスローテンポ?(δ_δ?)〜
「病院」「誘拐」「あっ」などの漫才ネタがありますが、
そのどれもが、当時の漫才スタイル
- ※ コンビが2人とも体をお客さんの方に向けて、
間を詰めて話すテンポの早いスタイル。
とは異なり、スローテンポで、2人で向かい合って話すスタイルには、
島田紳助など、多くの漫才師が驚き、
戸惑ったそうです。?(゜_。)?(。_゜)?
ダウンタウンの漫才 その2
〜ではどうやって漫才を覚えたの?(δ_δ?)〜
そんなダウンタウンの漫才は どのようにして覚えたのか、
ということについて、ダウンタウンが語っていたことがあります。
まず、結成直後は、前から好きだった「紳助・竜介」の漫才のテープを
何度も聴いて覚えたと言っており、
浜田のツッコミは、中田ボタン(中田カウス・ボタン) を
お手本にしていたとも言っていたそうです。
(現在はどうなんでしょうかo(゜◇゜o)?)
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ダウンタウンの漫才 その3
〜ダウンタウンに師匠はいないの?(δ_δ?)〜
普通の芸人は、誰か好きなお師匠さんの所に弟子入りするのですが、
ダウンタウンの2人は、NSC
- ※ お笑いの養成所・専門学校。
- ちょうど、NSCが出来た頃に2人は入ったので、
- NSC一期生になります。
に通って漫才を磨き、その後も一切誰かの弟子になることなく
今まで来ているので、師匠はいないということになります。
ダウンタウンの漫才 その4
〜ダウンタウンはいつ認められたの?(δ_δ?)〜
始めは、ダウンタウンというコンビ名になるまでに
何回かコンビ名が変わったり、そのコンビ名のおかげで
先輩芸人に怒られたり・・・(※ ダウンタウンのコンビ名 )
また、そのスローな漫才に皆が戸惑いましたが、
NSC時代に講師にやってきた大物芸人
に注目されたり、島田紳助にいたっては、「こいつらには勝てない」
と思わせ、紳竜(当時人気絶頂期だった紳助の漫才コンビ)
の解散にまで至らせるほどの衝撃的な漫才で、
お笑い界にその名を刻みましたo((δoδ))o
そして、世間的にも「4時ですよーだ」(ダウンタウン初の冠番組)
で認められ、「4時ですよーだ」の終わる少し前からは、
東京でも『夢で逢えたら』 や、
ダウンタウンのガキの使いやあらへんでなどの
レギュラー番組を獲得(※ダウンタウンのTV出演番組)認められ、
現在の活躍に至ります。
- ※ ダウンタウンの漫才は、松本も浜田も個人的には
-
- 「史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ」 (TBS)
- お笑い芸人親子で漫才王座決定戦スペシャル (フジテレビ。)
- などの特番で、たまに見ることが出来るのですが、
ダウンタウンとしての漫才活動は、
『ダウンタウンの流』(ダウンタウンのビデオ・DVD)
- を最後に封印しています。(≧◇≦)エーーー!
ダウンタウンの漫才 その5
〜漫才で賞とかもらってるの?(δ_δ?)〜
ダウンタウンは、いろんな先輩芸人や世間から認められていますが、
漫才コンクールなどでの過去の受賞暦が数々あることも分かりました。
- 第3回 今宮こどもえびす新人漫才コンクール (S57年)
- 第14回 NHK上方漫才コンテスト(S58年)
- 第5回 ABC漫才落語新人コンクール (S59年)
- 第21回 上方漫才大賞(ラジオ大阪)(S61年)
- 第22回 上方漫才大賞(ラジオ大阪)(S62年)
- 第23回 上方漫才大賞(ラジオ大阪)(S63年)
- 第24回 上方漫才大賞(ラジオ大阪)(H1年)
- 第7回 花王名人大賞(花王名人劇場)(S62年)
- 第15回 日本放送演芸大賞(フジテレビ)(S62年)
ダウンタウンの漫才 関連ページ 〜
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