この「ダウンタウンと島田紳助の仲」コーナーでは、
ダウンタウンと島田紳助との関係で有名な話をいくつかご紹介します。
ダウンタウンと島田紳助の仲 その1
〜ダウンタウンは島田紳助を
漫才のお手本にしていた?(δ_δ?)〜
ダウンタウンの2人は、ダウンタウンを結成し、
本格的に漫才を始めるとなったときに、
前から1番好きだった「紳助・竜介」を漫才の手本にし、
「紳助・竜介」の漫才テープを繰り返し聴いていました。
- 紳助・竜介とは?・・・
- ( =しんすけ・りゅうすけ。略して「紳竜」(しんりゅう)とも。
- 島田紳助と松本竜介のコンビ。)
- 紳助:島田紳助。ボケ担当。
竜介:松本竜介。ツッコミ担当。
-
※ 島田紳助
- = しまだ しんすけ。
- 1956年3月24日生まれ。
- 本名は、長谷川公彦(はせがわ きみひこ)
- 松本竜介
-
- = まつもと りゅうすけ。
- 本名は、松本稔(まつもと みのる)
- 1956年4月6日生まれ〜2006年4月1日(脳幹出血のため逝去)。
- 元、花月劇場の進行役。
- 1985年の解散後は事業家に転向したが、
借金をして自己破産した。
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- ポストB&Bの漫才コンビを狙って結成したコンビ
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- B&Bとは?
- 1972年に結成したコンビ。
- 初代 :島田洋一と団順一(初代相方)
- 2代目:島田洋一と上方よしお(2代目相方)
- 3代目:島田洋七と島田洋八(3代目相方)
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- 島田紳助と明石家さんま のコンビになっていたかも?
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- ※ 島田紳助は始め(1975年・昭和50年の9月)
- 明石家さんまさんに 「コンビ組まへんか?」
- と誘ったが、断られ、その後 さんまさん が
- 松本竜介を紹介して結成したコンビが紳助・竜介です。
-
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ダウンタウンと島田紳助の仲 その2
〜ダウンタウンの松本は、松本竜介(紳助・竜介)
が倒れたときに駆けつけた?(δ_δ?)〜
松本竜介は、1956年4月6日に生まれ、
2006年4月1日に脳幹出血のために逝去されましたが、
松本竜介が2006年3月(4月1日に逝去された一ヶ月前)に倒れた
とき、島田紳助は全ての東京での仕事をキャンセルして大阪へ駆けつけ、
その時ダウンタウンの松本も駆けつけたそうです。
ダウンタウンと島田紳助の仲 その3
〜島田紳助が初めてダウンタウンの漫才
を見た感想は?(δ_δ?)〜
島田紳助が初めてダウンタウンの漫才を見た当時の紳助の考えでは、
「次に来る新世代の漫才は、
(早いテンポで間を減らした)16ビートの漫才だろう」
と考えていましたが、
初めてダウンタウンを見たとき、紳助の考えとは全く逆の
スローテンポの漫才をしていました。
これを見た紳助は・・・
「面白いんだけど・・・果たして商品として成功するのだろうか?」
という疑問を持って見ていたと言っています。
ダウンタウンと島田紳助の仲 その4
〜紳助・竜介が突然解散したのは
ダウンタウンが関係してる?(δ_δ?)〜
その後、紳助がダウンタウンと1985年に共演をし、
- 場所:なんばグランド花月)
- 共演者:紳助・竜介、ダウンタウン、太平サブロー・シロー
- 期間:10日間
生で、目の前でダウンタウンの漫才を見てすぐ、
「紳助・竜介」がわずか数日で解散しました。(≧◇≦)エェッ!?
その解散当時はこんな感じでした・・・ドレドレ?(..)
- 解散は、1985年(昭和60年)
- ダウンタウンは、当時ほとんど無名だった。
- ダウンタウンの、今までの時代とは異なる、
テンポの遅い漫才の舞台を見て
「レッ・・レベルが高すぎる!( ̄□ ̄;)ギョッ」
「(彼らは)ピカソの域に達している!」
「ヤバイ!勝てない!俺らの時代は終わった」
と、すぐさま解散することを決めて、
そのまま吉本の本社(紳助の所属事務所)に行った。
- ダウンタウンの舞台を見た、そのわずか数日後に解散した。
- 解散の会見で、
「このままでは太平サブロー・シローやダウンタウンには勝てない」と発言したが、新聞では、
「太平サブロー・シローには勝てない」
というのが解散の原因とされた。
- この時ダウンタウンは、無名の自分たちを評価してくれた
島田紳助を尊敬するようになった。
また、ダウンタウンが高校卒業後に入ったNSC(吉本のお笑い養成所)
に紳助、さんま、オール巨人(オール阪神・巨人)が
講師に来て漫才を見たときに、3人が揃って
「良かったのは(ダウンタウン)一組やなぁ」と言っていたそうです。
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